私はいつも晩酌をする。市町村合併・続き(2003.07.22)
本当は帰ったらすぐご飯を食べたいんだけど、母親が「仕事から帰ったら晩酌が基本。」と考えているから「いらない!」とも言えず、 毎晩お酒を飲んでいる。当然、母親は休肝日なんて言葉を知らないから、休み無しの晩酌。 わざわざ酒の肴を作ってくれる母親には感謝してるけど、なんか自分がフォアグラにでもなった気がする事もある。 昨晩は「酒の肴が少ないから」と、カップラーメンを作ってくれた。ラーメン屋に入ってビールを頼む人もいるから、(カップ)ラーメンも 酒の肴になると思ったんだろう。瓶ビールの脇にグラスとフタの隙間から湯気が上がっているカップラーメン...
思わず「田舎から逃げたい!」と思った。最近、デジカメを買った。
前のデジカメが一年前に壊れたから栃尾情報局に自分の撮った画像を載せるられなかったけど、これからは大丈夫。 ...だと思う。最近のデジカメは高性能。 あんな写真やこんな写真も撮ってみよう、と妄想は膨らむばかり。
ついでに携帯とノートPCをつなぐUSBケーブルアダプタも買った。これで何処に行ってもネットに接続出来る。気分はモバイラー。 そんな訳で、最近、出かける時は携帯の他にノートPCと デジカメと ボイスレコーダーを持って出かける。 でも、まだ有効に活用した事は無い。せいぜい、飲み屋のお姉さんに「すっごーい!」とかお世辞を言ってもらったくらい。で、栃尾の活性化の続きなんですが、
オリナスを幾つかの部屋に分割して、起業する人達に安く事務所として貸す、なんてのはどうでしょうか。もちろん本当に安くです。 業種とかは特に限定しないけど、その見返りとして、そこに入居する人には月一回程度の講習会の講師を義務付けるとか。 当然、起業するからにはその人達には得意分野があるんだろうし、その以外の事(たとえば自分が起業しようと思った理由等)をみんなに講義する事で 栃尾に新しい芽が育つんじゃないかな。どちらかと言うと「栃尾市がこれをやってくれれば...」的な事が多いけど、民間でも出来る事はいっぱいあると思う。
ここの取り組みって知ってますか。新潟のお隣、福島県只見町の たもかく株式会社。「本と森の交換制度」や「森の里親制度」。 これを民間企業がやってるんですよね。正直、すごいな、と思いました。只見町か。行ってみたいな。(謎)
あっ、そろそろ出かけなきゃ。じゃっ。
最近、「ユビキタス」という言葉をよく耳にする。市町村合併(2003.07.21)
マーク・ワイザー(Mark Weiser)氏が提唱した「ユビキタス・コンピューティング」が語源。
ユビキタスか。 「あ痛っ! 指切ったス。」 クスクス... そんな訳で、最近、少々壊れてます。栃尾市を活性化させる為には、どうしたらいいんでしょうか?
今なら「どうする?アイフルぅ」とか白ける冗談を言えばいいんだろうか。古い人なら「♪あなたなーらどうするー」とかいう、 いしだあゆみ(だったかな)の歌を思い出すんだろうか。活性化って言うよりも、自主財源の比率を高める為に何をするか、ですね。
栃尾市以外の人に栃尾に来てもらう事。その意味では、ギャンブル関係の施設を誘致するってのもいいのかも。 カジノは無理としても、越路町でモメている場外馬券売り場なんかでもいいのでは。栃尾の山奥(長岡のすぐ隣の場所)に作って 隔離して、交通渋滞や栃尾市民の生活環境の悪化が起きないように配慮する必要がありますが。
他には、観光客に来てもらう事でしょうか。温泉とかスキー場やゴルフ場を作るんじゃなくて「何も無い!」が売りの観光地を目指しませんか。 宿泊は農家と契約して農家に泊まってもらうとか。そこに泊まった人と農家の人が仲良くなってお米や野菜なんかを直接買ってもらえるようになれば いいですね。この辺の指導なんかは役所のお仕事としてちょうどいいと思います。 あと、東京とか大阪に「栃尾のお店」を開いて栃尾市の紹介を真剣にやれば、栃尾市を知って、そして、訪ねて来る人も出てくるのでは。 最近の若い娘はダイエットに関心があるから栃尾のお米や野菜だけの精進料理でも出せば受けるかも、なんて東京の親戚の子が言っていました。
そういう意味ではネット通販なんかも真剣に取り組めば、それなりに成果が出るかも知れません。 例えば、うちの会社のホームページで一時栃尾手毬を紹介をした事があるんですが、鹿児島の方から母の日にプレゼントしたいから売って欲しい、という メールを貰った事があります。オリナスなんかでもネット通販をやっているかも知れないけど「売るぞ。売るぞ。売るぞ...」みたいな気持ちでは やっていないんじゃないかな。
あと、栃尾出身者やその家族達も栃尾のファンになってくれてる可能性が高いと思うので、その方達の需要を掘り起こすのもいいんじゃなかな。 例えば市民に配布している「広報とちお」。これを栃尾出身者の方にも購読してもらうとか。 私の同級生にも実家が完全に無くなって、栃尾に来たくとも泊まる場所がない、なんて人もいます。 そんな人達が気軽に帰ってこれる場所もあればいいんでしょうね。立派な施設なんて不要だけど、帰ってきた同級生達と酒飲んで雑魚寝が出来る程度の 施設があれば嬉しいですね。廃校になった校舎を有効に利用できないかな。あー、やっぱその場で考えながら書くのはしんどいな。しかも無責任な事を。← 実は休みに何も考えていなかった。
そんな訳で... (続く)
そうそう、一つだけ私が真面目に考えた事。
私もここの会員なんですが、「SOHO's Club」というのSOHO業者の団体があります。
ここに「SOHO村計画」というのがあるんですが、栃尾にSOHO村が出来たらいいな、と思い、 主催者の方に栃尾の紹介メールを出した事があります。
気が付けばもう7月後半。あと一ヶ月も経たずにお盆じゃないですか。ひえー、早すぎ!憂鬱・その後(2003.02.23)
最近、気力、体力、やる気が低下してて、まさに「しおしおのパー」状態なんです。困ったものです。高波保の掲示板で栃尾の市町村合併が話題になってますが、酔った時に「今度、自分の意見を言います。」なんて書いちまった ものだから、合併に対する自分の意見を書いてみます。あぁ、面倒くさい。(笑)
方向としては栃尾の合併もやむなし、と思いますけど、心情的には栃尾市のまま残って欲しい、というのが私の意見です。 何故(消極的にせよ)合併を容認しているかというと、「回りも合併するから」というだけノンポリ的な理由です。 無理に理由をこじつけると、この閉塞感ただよう町の雰囲気とか古い考え方とかが合併で変わったらいいな、ってとこでしょうか。 (と言いつつ、たぶん変わらないと思ってる自分がいたりしますが)
「○○の方が絶対いい!」という訳じゃないのでその時々で気持ちがブレたりします。 ただ、ひねくれた性格なもので、最初から合併ありきって進め方をされると合併を否定したくなります。 だから、合併については是非住民投票をやって欲しいんですけどね。
私は、合併しても栃尾が良くなるとは思っていません。合併後数年は特例措置の補助金等で公共事業が増えたりするかも知れないけど 最終的には今以上に寂れてくると思っています。そして、その時には『栃尾市』という名前が無くなっていて...栃尾が長岡市と合併しなかった場合、自主財源の乏しい栃尾は苦しくなります。
市町村合併と財源委譲・交付税制度の見直しはセットになっているから、栃尾が合併しない場合は、 自主財源の確保をどうするかって事も考えなきゃなりませんね。 農業と土木と繊維というまさに逆風の3点セット(失礼!)でなりたっている栃尾が自主財源を確保する為には、 産業を育成する必要があると思います。 今までのように雇用の確保に重点を置いて、補助金で建物を建ててそれで雇用を確保するってやり方じゃやっていけないですね。 雇用を確保しつつ、外貨の獲得が見込める(市外からお金を稼いでくる)産業を育成して欲しいです。 そうする事で若い人たちも地元に残れるし町にも活気が出てくるんじゃないかな。
ある朝起きると自分が大きな芋虫になっていた、というのがカフカの『変身』ですけど、ある朝起きたら自分が 「栃尾市活性化委員会(仮称)」の委員になっていたとします。栃尾を活性化する為に、産業を育成する為に、 あなたならどんな提案をしますか? 選挙の時なんか「若者が安心して働ける町を作ります。」とか「福祉を充実させます。」など、「具体的な方法や財源確保は?」と 突っ込みを入れたくなる事がありますよね。 ここでは実現可能とか実現不可能とかこだわらなくて、自分の思う具体的な提案をしてみましょう。私なら... (続く)
先週書いた憂鬱な出来事のその後なんですが、私は連帯保証人にならなくてもいい、みたいです。憂鬱(2003.02.16)
そんな訳で、私は上水道事業の地元負担分の借入金(数千万円)の連帯保証人にはなっていません。
何故、「みたいです。」という言い方かというと、私は金曜日の集まり(連帯保証人になる為の集まり)に出席しなかったので 最終的な結論を知らないからです。実は日記をアップした次の日の夜、水道組合の組合長と副組合長2人の計3人が、私を説得にうちに来ました。
誰かが日記を読んだのかな、って思うくらいのタイミングの良さだったし、 「(私を)説得するぞ。説得するぞ。説得するぞ。」って感じで、みなさん気合が入ってました。 私も「喧嘩になってもいいや。」という覚悟だったので、自分の意見を全て言わせてもらいました。 で、最後に、説得に来たみんなに問いかけました。要約するとこんな内容です。「私は最初から最後まで連帯保証人にはならないと言ってきました。でも水道組合の役員としてやる事はキチンとやってきました。 それ以外にも青年団として村の行事にも十二分に貢献してきたつもりです。村に残っているから、報われない仕事も黙々とやってきました。 でも、保証人にだけは絶対になりません。村の為の保証人にならないって事がどうしても許されないことなら、また、 保証人にならない事で自分が村の為にしてきた事が全て否定されるなら、私はもう村の為に何も出来ないし皆さんのお役にも立てません。 皆さんにゲタを預けます。どうしても借入金の保証人にならなくちゃいけませんか?」
組合長は暫く考えてから「分かりました。保証人にはならなくていいです。その代わり今まで通り水道組合の役員は続けてもらえませんか。」と言いました。 (村内の)超法規的措置ってやつですか。私は保証人にならなくて済んだんです。
その日はそれで終わったんですが、翌々日の朝、また訪ねてきた組合長から、ひとつの依頼を受けました。 依頼というのは、「金曜日の集まりには出席しないで欲しい、出来れば用事を作って遅い時間に家に帰ってきてほしい。」という事でした。 組合長も立場上辛かったんでしょう。私だけ保証人にならなくてもいいって事になると他の役員に保証人になれって強く言えないですから。 組合長の立場も分からなくはないです。
そんな訳で、私は金曜日の集まりには出席しませんでした。次の日は村の行事(賽の神と雪上運動会)があって、 私も青年団として動き回っていたのですが、組合長や他の水道組合の役員と顔を会わせても保証人の話は出ませんでした。 お互いにその話題を避けてたってのもあると思います。連帯保証人にならなくて済んだけど、これで全てカタが付いた、なんて思っていません。
「勝訴!」なんて紙を掲げて家の回りを走り回るような喜び方もできません。(家の回りはまだ雪あるし)
他の役員の人は泣く泣く連帯保証人にさせられたんだろうし、自分だけが申し訳ないな、って気持ちもあります。 でも、これだけは絶対に譲れない事だし、その事で「あそこのせがれだけ役員なのに連帯保証人になっていない」なんて陰口を 言われる事も覚悟してます。(田舎に住んでいるとこういうことは結構多い)
あと、本当のゴタゴタはこれから起こるんだろうな、って思ってます。
例えば、結構、無理して組合員(水道組合に加入する家)を集めました。 この事業は地元負担額が大きいから出来るだけ多くの組合員が必要だったんです。 組合員の均等負担だから、組合員が多ければ一戸あたりの負担額が少なくなる計算なんです。 水道組合の加入を勧誘した家には、息子が都会に出ていてお年寄りの一人暮らしの家も何軒かあります。 「無理に勧誘しなくてもいいんじゃない。水が足らなくて困ってる訳じゃなく、将来、息子が帰ってくる訳でもないし。」 なんて家もありました。仮に借入金の返済が終わる前に逝ったりしたら、借入金の返済の事で都会に住む息子ともめそうな気がします。 まぁ、「そこまで気にしたら何も出来ないじゃないか。」って言われれば、その通りなんですが。とりあえず、私にとって最悪の事態は回避できました。
水道の事では、他にも、色々な人達の思惑とか、「ちょっとおかしいぞ」と首を傾げたくなるような事とかいっぱいあります。 でも、これ以上地元の恥をさらすのもナニなんで、この辺でやめておきます。
またどうしても納得出来ない出来事が起きれば書くかも知れませんけど...
数千万円の借金の連帯保証人になれ、って言われました。「村の為に」の一言で有無を言わさずに、です。久しぶり(2003.02.11)
自分の立場で考えてみてください。「まぁ、しょうがないか。」って諦めますか。
私は、絶対に嫌です。どういう事かって言うと、
私の住んでいる地区に上水道を整備する事になったんです。で、その為に水道組合なるものが出来ました。
私もその水道組合の役員にさせられました。最初は断ったんですが「村の為に」という一言で、泣く泣く役員を受けました。 この時にも「保証人とかは絶対なりませんからね。」と念押ししてました。
昨年から工事が始まり、そろそろ業者に代金を支払う時期になりました。この上水道事業には国、県、市からも補助が出るんですが、 地元負担が一戸あたり百万円以上です。
このお金は水道組合として農協から一括で借り入れます。そして、この借り入れの為に水道組合の役員に連帯保証人になれって事なんです。 一昨日、今度の金曜日に水道組合の役員は印鑑証明書と印鑑を持って集会所に集まれ、と組合長から連絡が入りました。 「はぁ?」って感じです。私は最初から最後まで連帯保証人になる事を拒んでいたし、第一、書類も見せずにいきなり印鑑証明書と印鑑を 持ってこい、って何ですか。あんたら、保証人になる事がどんな重要な事か分かってんの? 問い詰めたい、小一時間問い詰めたい...(以下、略)私は次の金曜日には印鑑証明書も印鑑も持っていきません。
水道組合の事だからじゃなく、「保証人には絶対ならない」というのは私の信念です。この歳まで生きてりゃ保証人になってくれ、なんて話は 何回かあったし、どんなに親しい人でも自分の考え方を変えませんでした。今回も自分を曲げる気はありません。
当然、次の金曜日は色々な文句や非難を受けるはずですし、「村の為に」という話も持ち出されるはずです。
ここまでくると、自分が大事か村が大事か、って二者択一になってしまいます。村に戻って6年くらい経つんですが、最近、村で生きていく事に疑問を感じてます。
村には区費っていうのがあります。いわゆる町内費みたいなもので、それを使って村を運営していきます。 金額は、各家の所得に応じて違いますが、うちの場合年間3万円以上払っていると思います。
あと、人賦といって、村に労働力を提供する義務があります。これは各家1人じゃなくその家の労働可能人員(老人や女性を除く)分 の労働力です。うちの村では道普請3日(これは半日)、その他の行事に1日駆り出されます。 これに出れない時には1日当たり八千円のお金を村に出さなきゃいけません。
その他にも、青年団とか消防団とかに入って色々な行事に参加しなきゃなりません。
ちょっと調べてみたら、昨年は村の行事とか色んな用事が50回以上ありました。一週間に約1回って事です。 (私は青年団長をやっているんで多い方かも知れないけど)
仕事が忙しい時に「何月何日の何時に集会所に集まってくれ」なんて連絡が入ると、ほんとに泣きたくなります。
全て「村の為に」とか「村の活性化に」とか「これからは若い人たちに村を背負ってもらわなきゃ」なんて言葉で、 色んな仕事を押し付けられます。村で生きていく為の義務を十分、いや、十二分に果たしているつもりなのに、さらに連帯保証人ですか。
いい加減、うんざりしてきました。村に愛想が尽きかけている、というのが本音です。
可愛さ余って... みたいな感じなのかな。
この連帯保証人の件がきっかけで「村を出よう!」って決心する事になったら、切ないな。怒りにまかせて書いてるから支離滅裂な文章になってしまった。
他の人が読んでも、何言ってんのか分かんないだろうな。でも、もうどうでもいいや...
ほんとに久しぶりの更新です。言い訳(2001.07.23)
ここまで中断していると何を書いていいのか分らなくなりますので、最近の出来事なんかを書いてみます。
まぁ、リハビリって事で...ついこの間、交通違反で捕まってしまいました。一時停止違反との事。自分じゃ停止したつもりだったんですが、
ポリさんが「停止しなかった!」と言い張るもんで、言い争う労力(時間)と罰金を秤にかけて、結局、時間を買う事に
しました。で、最近、こんな感じで気力というか覇気というかやる気というか、そんなものが衰退してきた気がします。先週の土曜日、十数年ぶりに見附の居酒屋に行きました。見附在住の奴と同窓会の相談だったんですが、
居酒屋を出ようとしたら靴が無い!
ちゃんとゲタ箱に入れなかった私も悪いんですが、誰か酔っ払った奴が履いてったみたいです。
結局、居酒屋のサンダルを履いて家に帰りました。タクシーに乗ってるぶんにはよかったんですが、タクシーを降りて
家までの約20メートルの雪道をサンダルで歩きました。 足が冷たくて一気に酔いが醒めちゃいました。昨日、家のそばでフキノトウを1個発見しました。
「この時期に!」と思ったけど、最近、暖かい日が続いたから気の早いやつが顔を出したみたいです。とりあえず、そんなところ。
そろそろ駄文を更新しようと思っているんですが、「今週こそ更新するぞ!」と決めていたのですが、相変わらず(2000.11.07)
やはり人間というのは弱い生き物です。というか、私が軟弱なだけなんですが。
そんな訳で、今週も更新してません。 てへ。
本当は知らんふりしているつもりだったんですが、やはり少しでも何か書いておかないと、きっと来週も更新しないと思うんで、 とりあえず何か書きます。何か!
まぁ、リハビリという事で今日はこれだけ。
では。
忙しい日々が続いている、ような気がする。稲刈り終了(2000.09.18)
何故こんな書き方かというと、自分でも忙しいのかどうか分からないから。ほんの数週間前までは忙しくて仕方なかった。帰るのも12時を回ってからだったのに。 何とか終わりました。 親が汗だくになって稲刈りをしていると思うと心苦しかったのですが、仕事の納期も迫っており、どうする事も出来ません。
それでも休日は稲刈りをしましたが、いつもなら私も一緒に刈る予定の田んぼを親がすでに刈ってくれており、だいぶ助かりました。 この時期こんなに忙しい事は今まで無かったのですが、農業と仕事の両立の難しさを改めて実感しました。
そんな訳で、家の前の"はぜ"には今年の稲束が掛けてあります。天日乾燥のお米が食べれるのはもう少し先です。話は変わって、
親と話をしていて、うちの村にはお年よりが1人暮らしをしている家庭が9軒あることが分かりました。
わずか50数戸の村なのにその内の9軒が1人暮らし!! つまり、あと十数年後には村の2割近くの家が無くなる可能性が高いわけです。
あと数十年後、私たちの村はどうなっているのでしょうか。非常に不安です。
再開予告から3ヶ月経過。ほんとに久しぶりの更新。再開予告(2000.06.05)
ようやく我が家の稲刈りが終わりました。今年は私の仕事が忙しくて例年ほどの手伝いが出来なかったのですが、親が頑張ってくれて 何とか終わりました。 親が汗だくになって稲刈りをしていると思うと心苦しかったのですが、仕事の納期も迫っており、どうする事も出来ません。
それでも休日は稲刈りをしましたが、いつもなら私も一緒に刈る予定の田んぼを親がすでに刈ってくれており、だいぶ助かりました。 この時期こんなに忙しい事は今まで無かったのですが、農業と仕事の両立の難しさを改めて実感しました。
そんな訳で、家の前の"はぜ"には今年の稲束が掛けてあります。天日乾燥のお米が食べれるのはもう少し先です。話は変わって、
親と話をしていて、うちの村にはお年よりが1人暮らしをしている家庭が9軒あることが分かりました。
わずか50数戸の村なのにその内の9軒が1人暮らし!! つまり、あと十数年後には村の2割近くの家が無くなる可能性が高いわけです。
あと数十年後、私たちの村はどうなっているのでしょうか。非常に不安です。
3ヵ月ほど更新が滞っていましたが、またリストラ日記を再開する予定です。
相変わらず密やかに、かつ、不定期に更新すると思います。気が向いた時にのぞいてみてくださいな。